◇ 万代地域活動報告
所属自治会紹介
万代地域
万代地域は、新潟駅を背にして、北側(萬代橋の架かる信濃川方面の下流域)に位置し、まさに新潟市の玄関口という地域です。
しかし都市過疎化の影響からか若い世代が少なく高齢化が進んでいるのが所属自治体共通の課題です。
だからこそ災害時の高齢者の避難誘導や住民同士の連携が必要となってきています。万代地域コミュニティ協議会は、
こういった対策を進めながら地域の安全と治安を守りつつ、住民同士が手を取り合って住みよい地域となるよう一丸となって活動しています。
花園1丁目
新潟の表玄関でアクセスの拠点である新潟駅前を中心としたエリアです。社会情勢の変化で、空き地の目立った四十数年前と違い、
大規模ビル群やマンション、事業所、飲食店、ホテルや専門学校が多く共存しているエリアです。
天明町
古信濃川に面し西側に広がる約400世帯を有する自治会。新潟市が合併により区政になる前の昭和43年に六つの町内会が合一した。
名称を天明町とし、1区~6区に再編されました。
町名の由来は天明年間(江戸時代1781-1789)の開拓に起源すると言われています。
天明町自治会長 本間日吉(昭和60年頃の自治会長)
我が天明町は、昭和43年の発足である。当時、国の新住居表示の法に基づき、旧東天明町、西天明町、中天明町、西万代町、初生町、東万代町の一部が合併して新区割となり、
これに新しい町名を冠するに当り住民全部の投票により選ばれたものである。
天明の由来は、歴史的には遠く江戸時代の天明年間(1780年頃)の開拓に起源するといわれ、又文学的にみれば、天明とは夜明けを意味し、これから昇る朝日の如く、
我が町内の将来も希望に満ちた、輝かしいものであって欲しいとの願いがこめられたものと思う。
我が家の祖先の手に成る天保年間(1840年頃)の素朴な地図があるが、当時、この辺一帯の人家は僅か数軒にして、今日の発展に比すれば将に隔世の感がある。
私は過去の歴史と未来の願望を包含したこの町名が好きである。
我が町内は、発足当時は約560世帯もあり、市内屈指の大町内であったが、その後のドーナツ化現象のため、現在は約470世帯(昭和60年時)である。 (昭和60年7月「はぐくみ」から)
東万代町
旧東万代町の一部と大和町、女学校前通りが合併した町です。町内に万代市民会館、万代長嶺小学校、
万代公園を有するため広い割りに世帯数が多くありません。
三和町
信濃川右岸の流作場1番地から始まる三和町は以前、居村町と呼ばれて、流作場開墾の始まった地です。昭和30年の大合併により神明町、
天明町の一部と合併し三和町になりました。
昔から町内の半分は安倍山本立寺と安倍様のお屋敷で商店が一店もない静かな町でした。
最近になり東港線を挟んで万代島に超高層の朱鷺メッセや魚の卸売り場跡地にピア万代などができ、便利になった反面、治安の心配も出てきています。
神明町
流作場地区の守護神三社神社が鎮座する古くからの地域です。商店はほとんどありません。自治会としては新潟市で一番最初に古紙回収をはじめました。
新聞社が取材に訪れたこともあり、爾来40年、真冬を除き毎月休むことなく続いています。
東大通り2丁目
古くは現在の東映ホテルあたりに旧新潟駅があった頃、流作場踏切(たいやき甘太郎)周辺と、万代6丁目の一部、
東万代町の一部で万代3丁目町内会を形成、住居表示変更で再編、その後東大通り三叉路自治会と合併し東大通り2丁目自治会となりました。
一般住宅よりもマンションやアパート世帯が多いのが特徴です。
※ 万代コミ協たよりに掲載された自治会紹介文を再編集転載しました。